広告 自動車の歴史

第4回|1840〜1860年代の自動車史:蒸気自動車最後の輝きと、始まりのエンジン

1840~1860年代は、蒸気自動車が実用化の頂点を極めつつ、内燃機関という新たな技術が誕生した、まさに自動車史の転換点とも言える時代です。

馬車と鉄道の中間を埋める「道路機関車」として、蒸気車両が進化しながらも、その陰で未来のエンジンが胎動していました。


🔹1840年代|蒸気バスが街を走り始めた!

🚌 実用化に挑んだ先駆者たち

  • ウォルター・ハンコック
    ロンドンで「エンタープライズ号」「オートモーション号」などを運行。
    時速20~30kmの速度で信頼性も高く、都市間輸送で一定の成果を上げました。
  • ジョン&サー・ゴールズワージー・ガーニー
    長距離路線(ロンドン~バーミンガム間)で蒸気乗合馬車を試験運行。
    技術面では可能性がありましたが、悪路・馬車業界の反発が大きな壁となりました。

🚧 蒸気車の実用化を阻んだ課題

  • 重いボイラーと大きな車体
  • 燃料(水・石炭)の頻繁な補給
  • 騒音・煤煙・道路損傷などへの懸念
  • 馬車業界による政治的な妨害

🔹1850年代|大型から軽量へ、多様化する蒸気車

🚜 大型トラクションエンジンの台頭

出典:Wikimedia Comomons(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Aveling_Graphic.webp)

農業や建設現場で重機材や荷車を牽引するための、巨大な蒸気トラクションエンジンが発展。トーマス・アヴェリングらの会社が著名で、これらは後のトラクターやトラックの先駆けとなりました。
頑丈な構造と強力な牽引力が特徴で、舗装されていない悪路でも活躍しました。

出典:Wikimedia Comomons(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/94/Steam_roller_Aveling_%26_Porter_01.jpg)

🚗 軽量蒸気キャリッジの試み

個人向けのより小型で軽快な蒸気自動車の開発も続けられました。

出典:Wikimedia Comomons(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ee/Am%C3%A9d%C3%A9e_Boll%C3%A9e_p%C3%A8re.jpg)


アメデ・ボレー・ペール は 1851年のロンドン万博で「L'Obéissante (オベイサント号:従順なもの)」を展示・デモ走行(1873年)。 前輪駆動、独立懸架、差動歯車、ディスクブレーキなど非常に先進的な機構を備え、時速約40kmを達成。小型のボイラーと凝った設計で注目を集めました。
熱効率の追求: 複数のシリンダーを使った複式機関などの導入で効率化が図られました。

出典:Wikimedia Comomons(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b0/%27L%27Ob%C3%A9issante%27_pilot%C3%A9e_par_Am%C3%A9d%C3%A9e_Boll%C3%A9e_fils_en_septembre_1923_%C3%A0_la_Coupe_mancelle_de_l%27ACO_%28circuit_de_la_Sarthe%29.jpg)

🇺🇸 アメリカでの展開:

蒸気駆動の消防車や街路清掃車など、特殊用途車両としての実用化が進みました。個人用乗用車はまだ限定的でした。


🔹1860年代|栄光と衰退、そして新たな動力の誕生

🚩 蒸気自動車の最盛期と法規制の壁
イギリスでは技術的には成熟期を迎え、様々なメーカーが蒸気キャリッジやトラクションエンジンを製造。
赤旗法の強化 (1865年): 蒸気自動車の普及を決定づけて阻んだのが、この有名な法律です。
・公道走行する「自動車」の前を、赤い旗を持った歩行者が歩いて先導することを義務付け。
・市街地では時速2マイル (約3km)、郊外でも時速4マイル (約6km) という極端な速度制限。
明らかに蒸気自動車を念頭に置いた抑制策で、イギリスの自動車開発はほぼ停止。この規制は1896年まで続きました。

後の自動車産業の中心が大陸(フランス・ドイツ)へと移っていく原因となりました。

🇫🇷 フランスの相対的自由

イギリスとは対照的に、フランスではナポレオン3世が産業を奨励し、蒸気車両に対する規制が比較的緩やかでした。           これは後にフランスが内燃機関自動車の先駆けとなる土壌を作りました。

🔧 内燃機関の登場 - 夜明け前

この時代の最も重要な進展は、内燃機関という全く新しい動力源の実験的出現です。

出典:Wikimedia Comomons(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4b/T4-_d693_-_Fig._434_%E2%80%94_M._Lenoir.png)

ジャン・ジョゼフ・エティエンヌ・ルノワールは1860年実用的な2ストロークガス機関を発明(特許取得)。                石炭ガスを燃料とし、電気点火方式を採用。世界初の実用的な内燃機関とされています。

出典:Wikimedia Comomons(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c9/Lenoir_gas_engine_1860.jpg)

  • 1863年:** このエンジンを搭載した三輪車「ヒッポモビル」を製作・公開。約10-12kmの距離を時速約6kmで走行に成功しました。     これは内燃機関を動力源とする世界初の(原始的な)自動車と位置付けられます。

出典:Wikimedia Comomons(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/Lenoir_Hippomobile.jpg)

ルノワールのエンジンは出力が低く、効率も悪く、実用的な自動車動力としてはまだ程遠いものでした。                 しかし、「エンジンで車輪を直接回す」というコンセプトを初めて実証した点で画期的でした。                     数百台のエンジンが固定式として販売され、技術的な関心を集めました。


🔍 まとめ|蒸気からエンジンへ、変わりゆく動力の時代

  • 蒸気自動車が主役だった最後の20年:農業・輸送・特殊車両で活躍
  • 技術の成熟と限界:重量、起動時間、燃料補給、騒音、煤煙、法規制など
  • 内燃機関の誕生:ルノワールのエンジンが「未来」の扉を開いた
  • 社会の受容と法制度:技術の発展は、政治と法律に大きく左右される

この時代は、蒸気という「旧来の力」が最も輝いた瞬間であると同時に、未来を担う技術が静かに目を覚ました時期でもありました。


🧠 豆知識

オベイサント号の名前の意味は?

L'Obéissante(オベイサント)」はフランス語で「従順な者」という意味。 発明者ボレーは、蒸気車が人の命令に従って走る新しい“召使い”になると考えていたのかもしれません。

オリジナルの車両はパリの工芸美術館に保存されています。

出典:Wikimedia Comomons(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/55/Amedee_Bollee_L%27Obeissante_1873.JPG)

ヒッポモビルの名前の意味は?

馬なしで自走することから「ヒッポモビル(hippo=馬、mobile=動く)」と名付けられました。

ギリシャ語の「hippos(ἵππος)」で「馬」を意味します。

ヒッポモビル(Hippomobile)のレプリカは、フランスの自動車博物館「シテ・ド・ロトモビル(Cité de l’Automobile、通称シュランプ・コレクション)」などで展示されています。

👉 前回の記事はこちら(第3回)

-自動車の歴史
-, , , , , , , , ,