広告 トヨタ (TOYOTA)

第1部 トヨタ歴史|1920〜1949年:創業の原点と激動の時代 🚗

■はじめに|繊維機械から始まった、巨大企業の原点

トヨタ自動車の歴史は、最初から「自動車」から始まったわけではありません。 その出発点は、大正末期における日本の繊維産業の発展と密接に関係しています。 トヨタグループの創業者・豊田佐吉が発明した自動織機、そしてその遺志を継いだ息子・ 豊田喜一郎(1894–1952)が、自動車開発に挑んだことからトヨタの物語は動き出しました。

豊田佐吉, 1867 – 1930                                                                     不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
豊田佐吉が発明した無停止杼換式豊田自動織機(G型)                        Morio, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

日本ではまだ自動車の「国産量産技術」が存在せず、国家としても内燃機関の国産化が課題だった1920年代。 若き技術者・喜一郎は、「自動車こそ次代の国を支える」と確信し、国産車開発に動き出します。

■創業の原点:織機王の遺志と自動車への挑戦(1920〜1933)

豊田佐吉が築いた技術基盤をもとに、1926年「株式会社豊田自動織機製作所」が設立されます1。 1930年に佐吉が死去した後、息子・喜一郎は欧米の自動車産業を視察し、特にアメリカのフォード方式に感銘を受けました3。 1933年には自動織機内に「自動車部」が新設され、国産車の開発に本格着手します。

1913年フォードの組み立てライン
豊田喜一郎(1894–1952)                                        不明Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

⚙️簡易年表(1920〜1933年)

出来事
1926年豊田自動織機製作所 設立1
1930年佐吉死去、喜一郎が技術事業を継承
1933年自動車部 設立3
1933年自動車部 設立3A型エンジンとA1型試作開始

■トヨタ自動車工業の誕生と戦時体制下の急成長(1933〜1945)

■トヨダAA型乗用車の誕生(1936〜1937年)

1936年にトヨダは初の試作乗用車「A1型」を完成させ、翌1937年には国産初の量産乗用車「トヨダAA型」を発売しました。

1936年トヨダ AA型乗用車                                                                             Mytho88, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

AA型は水冷直列6気筒3.4リットルエンジンを搭載し、最高速度は約100km/h。ボディは当時のアメリカ車を参考にした全鋼製で、日本の道路事情に合わせて設計されました。

生産台数は約1,400台で、トヨタ自動車の自動車事業の礎となり、日本の自動車産業発展に大きく貢献しました。

1935年にA1型・G1型が完成すると、自動車部は独立の必要が生まれ、1937年に「トヨタ自動車工業株式会社」が設立されます2。 社名表記を「トヨタ」としたのは、発音のしやすさや商標戦略、カタカナ8画の縁起が良いという理由からでした3

日中戦争以降、政府の軍需統制により、トヨタは主にトラックを量産するようになり、 軍用KC型などを中心に生産を拡大します4。しかし自由な車種開発は制限され、民間向け乗用車は生産停止状態となりました。

トヨタKC型トラック                                                                 Toyota, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

⚙️簡易年表(1933〜1945年)

出来事
1933年自動車部 設立
1935年A1型・G1型 試作成功1
1938年トヨタ自動車工業 設立2
1941年軍需生産に本格転換4
1945年空襲 → 戦後転換の準備5

■戦後の再起動:焼け跡からの出発(1945〜1949)

終戦後、トヨタは進駐軍向けの整備業務を皮切りに再建を開始1。 技術資産と組織を頼りに生産を回復させようとするも、資金難と需要消失で経営は悪化。 1949年、興銀からの緊急融資と経営刷新により、ようやく倒産を免れました3

石田 退三(いしだ たいぞう 1888 -1979)                           トヨタ自動車工業株式会社社史編集委員会, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

喜一郎はその年に社長を辞任し、財界出身の石田退三が経営を引き継ぎ、再建への道を拓いていきます4

⚙️簡易年表(1945〜1949年)

出来事
1945年終戦 → 生産停止、GHQ管理下
1946年進駐軍整備業務 開始1
1949年経営危機 → 興銀融資3
同年喜一郎 辞任 → 石田退三体制4

■まとめ|「創業は技術と覚悟から始まる」:トヨタの原点と未来への布石

この30年間は、トヨタが「技術」と「覚悟」をもって、自動車という未知の領域に挑戦した時代でした。 豊田喜一郎の挑戦と失敗、そして再起は、後のグローバル企業化の源流となる企業文化を育んでいきました。

⚙️年表:1920〜1949年 トヨタ創業期の主要動向

企業・人物動向社会・技術背景
1926豊田自動織機 設立1繊維産業が日本工業の柱に
1933自動車部 設立デトロイト方式導入3
1937トヨタ自動車工業 設立2日中戦争と軍需体制
1949喜一郎 辞任4経営再建フェーズへ

❓FAQ よくある質問

Q1. トヨタはいつ、どのようにして設立されましたか?

1937年8月28日に「トヨタ自動車工業株式会社」が設立されました。前身は豊田自動織機製作所の自動車部門で、1933年から自動車開発を進めていました。

Q2. 「豊田」ではなく「トヨタ」と表記される理由は?

  • 公募の結果「トヨタ」が選ばれた(語感・響きが良い)
  • 画数が8画で縁起が良いとされた
  • カタカナの方が商標として視認性に優れる

Q3. トヨタの最初の乗用車は何ですか?

1936年に試作された「A1型セダン」を元に、1937年には量産型の「AA型乗用車」が登場しました。これはトヨタ初の量産乗用車です。

Q4. 戦前・戦中におけるトヨタの生産体制はどうでしたか?

1940年代には政府の統制下でトラックなど軍用車両を中心に生産。戦中は航空機部品なども一部手がけていました。

Q5. トヨタの創業者は誰ですか?

創業者は豊田喜一郎(Kiichiro Toyoda)です。彼は豊田佐吉の息子であり、機械技術者として自動車事業に挑戦しました。

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📚参考文献一覧

  • 1. トヨタ自動車『75年史』沿革編・開発編(2012年)
  • 2. 名古屋商工会議所『トヨタ設立と地場経済』(1937年)
  • 3. 山田哲『トヨタと豊田家』講談社(2016年)
  • 4. 経済産業省『自動車産業政策史(戦時編)』2004年
  • 5. 佐々木実『豊田喜一郎の戦略眼』日経ビジネス文庫(2001年)

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