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クルマの偉人伝 3|リチャード・トレビシック: 蒸気のパイオニア、自走する夢を追った男

大胆不敵な挑戦者が歩んだ、栄光と孤独の発明人生

👶 生い立ち:蒸気に魅せられた少年

リチャード・トレビシック(Richard Trevithick, 1771–1833)は、イギリス・コーンウォール地方の鉱山町イラーフラッドに生まれました。
父は鉱山管理技師で、町には鉱山排水用の蒸気機関が多く稼働していました。

正規教育はほとんど受けなかったものの、力学や数学への直感的な理解力に優れ、職人たちの間でも「天才少年」と呼ばれるほどの才能を発揮します。

🧪 高圧蒸気という「禁断の領域」への挑戦

当時は「高圧蒸気=危険」という常識が支配していましたが、トレビシックはその限界を破ろうと果敢に挑みます。
鉄製ボイラーを独自に改良し、小型・軽量・高出力のエンジンを完成させます。

この開発は一歩間違えれば爆発事故という危険を孕んでおり、周囲からは危険視されながらも、彼は恐れず実験を重ねていきました。

🚘 「自力で走る車」を造った男

1801年のクリスマスイブ、トレビシックは自作の蒸気車「パフィング・デビル」をカンボーンの公道で走らせます。
坂道を含む道を人を乗せて走行したその光景は、人々に強烈なインパクトを与えました。

翌日には車両が焼失するという不運に見舞われましたが、彼の夢「動力で動く車」は現実となったのです。

🌆 ロンドンへの挑戦とその結末

1803年、彼は改良版の蒸気車をロンドンで公開走行。
操舵や駆動の仕組みを備えたその車は人々を驚かせましたが、悪路や風評、資金難により量産には至りませんでした。

トレビシックの関心はやがて鉄道や鉱山設備に移り、蒸気車の挑戦はここで幕を下ろすことになります。

🚂 鉄道と鉱山での挑戦

彼は高圧蒸気機関を使った様々な装置を開発し、ウェールズのペナダレンでは貨物を運ぶ蒸気機関車も走らせました。
また鉱山用の排水ポンプや巻き上げ機などを開発し、実用化にも貢献しました。

ただし、それらの発明も長期的な商業的成功には繋がらず、相変わらず資金には恵まれませんでした。

🌎 南米での冒険と帰国後の孤独

晩年のトレビシックはペルーに渡り、鉱山での機械導入に携わります。しかし政変に巻き込まれ、財産を失い帰国の途に。
アンデス山脈を徒歩で越えるという壮絶な体験の末、やっとイギリスに戻ります。

1833年、ロンドン郊外のダートフォードで肺炎に倒れ、ひっそりとこの世を去ります。
その死は新聞にもほとんど取り上げられませんでした。

📜 後世に届いた評価

トレビシックが生み出した発明の数々は、彼の死後、再評価され始めました。
「動力を自らの手で制御し、前に進ませる」ことに挑んだ彼の姿勢は、現代の技術者たちに強い影響を与え続けています。

特許に無頓着で、資金調達にも不器用だった彼は、商業的には成功者ではありませんでした。
しかし、「まだ誰もやっていないこと」を恐れず挑んだその精神こそが、真の開拓者の証だったのです。

リチャード・トレビシック(Richard Trevithick, 1771–1833)は、時代に先んじたがゆえに理解されず、忘れられた技術者でした。
けれども彼が追い求めた「自走する機械」の夢は、いつか誰かの手で形になっていく。
そして今、私たちは彼の物語を「始まりの物語」として語り継いでいます。

🚀 革新の背後には、いつも孤独な挑戦者がいた。

👉 この人物が登場する時代の歴史はこちら → 第2回|1780〜1810年代の自動車史:蒸気車最後の輝きと、始まりのエンジン蒸気自動車の夜明け|マードックとトレビシックの挑戦

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