7.クルマの偉人伝 |蒸気の力で農業を変えた男──トーマス・エイヴリング、農業機械革命の先駆者

トーマス・エイヴリング
(Thomas Aveling, 1824-1882)
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■ はじめに

馬に引かせるしかなかった蒸気エンジンを、自分の力で走れる機械に変えた男がいます。19世紀イギリスの技術者、トーマス・エイヴリング(Thomas Aveling, 1824-1882)です。

彼が世に送り出した自走式蒸気トラクション・エンジンは、農業の世界を一変させました。それまで何十人もの人手が必要だった脱穀作業や耕作が、一台の機械で済むようになったのです。しかも、その機械は自分で畑から畑へと移動できる。当時の人々にとって、これは驚異的な光景でした。

エイヴリングの人生は、地主階級の家系に生まれながら、若くして父を亡くし、農家の徒弟となり、やがて自ら農場を経営し、そこから技術者へと転身していくという波乱に満ちたものでした。本記事では、彼がどのようにして時代を変える発明にたどり着いたのか、その足跡を辿ります。


■ 本文

📅 地主の家から農家の徒弟へ──運命を変えた父の死

トーマス・エイヴリングは1824年9月11日、イングランド東部ケンブリッジシャー州エルムという小さな村で生を受けました¹。家系は地主階級で、祖父は1802年にケンブリッジシャーとハンティンドンシャーの州長官という要職に就いていました。父も地主として一族の土地を管理していました。

ところが、トーマスが11歳の時に人生の転機が訪れます。1835年、父が突然この世を去ったのです¹。母アンは未亡人となり、幼い息子を抱えて途方に暮れました。

翌1836年、母は再婚を決意します。相手はケント州ハイ・ハルストウの司祭、ジョン・ダーバン牧師でした¹。こうしてトーマス少年は、生まれ育ったケンブリッジシャーを離れ、イングランド南東部のケント州へと移り住むことになります。

継父のもとでの新生活が始まりましたが、地主の息子という過去は意味を持ちませんでした。トーマスは農家エドワード・レイクのもとで徒弟として働き始めます¹。朝早くから夜遅くまで、土にまみれて農作業を学ぶ日々。ここで彼は、農業という仕事の厳しさと、人力・馬力に頼る作業の限界を身をもって知ることになりました。

🌾 農場主として独立──機械への渇望

徒弟修行を終えたトーマスは、1850年、26歳で人生の大きな一歩を踏み出します。ロムニー・マーシュのラッキンジという土地で、自分の農場を持ったのです¹。同じ年、師匠エドワード・レイクの姪サラと結婚しました¹。農家の娘と農家の若者──ごく自然な結びつきでした。

1851年の国勢調査記録を見ると、トーマスは農業経営者兼牧畜業者として、16人の男性労働者と6人の少年を雇っていたことが分かります¹。わずか27歳にして、かなりの規模の農場を切り盛りしていたわけです。この時期、彼は農業の傍ら排水タイル製造業も手がけていました。

しかし、農場を経営すればするほど、トーマスはある問題に直面していました。収穫期になると大量の人手が必要になる。脱穀作業は特に過酷で、何十人もの労働者を集めなければならない。耕作も同様です。広大な畑を人力や馬力だけで耕すのは、気の遠くなるような重労働でした。

🚜 1856年の挑戦──蒸気犂の導入

1850年代半ば、トーマスは転機を迎えます。リーズの技術者ジョン・ファウラーが開発した蒸気犂(じょうきすき)(steam plough)という新しい機械を購入したのです²,⁶。蒸気の力で土を掘り起こす画期的な装置でした。

トーマスはこの蒸気犂を自分の農場で使うだけでなく、近隣の農家のために請負作業を始めました⁶。ケント州の農民たちにとって、蒸気の力で深く土を耕せる機械は衝撃的でした。従来の馬耕では到達できなかった深さまで耕せるため、土壌改良が進み、収穫量が増えたのです。

この成功は大きな評判を呼びました。1858年、ケント州の有力農業経営者たちは、トーマスの功績を讃えて銀製の記念品と300ギニー(当時の大金)を贈呈しました¹,²,⁶。農民たちからの感謝の証です。

しかし、トーマスの目には、まだ解決されていない問題がありました。蒸気犂(じょうきすき)も、蒸気エンジンを搭載した脱穀機も、肝心のエンジン本体は動けない。畑から畑へ移動するには、結局馬の群れに引かせるしかなかったのです。

トーマスはこう表現しています──「6隻の帆船が蒸気船を曳航しているようなものだ。機械科学への侮辱だ」²。この言葉には、技術者としての彼の信念が込められていました。蒸気の力があるのに、なぜ馬に頼らなければならないのか。

⚙️ 1858-1859年の大発明──走る蒸気エンジン

1858年、トーマスはロチェスターという町に拠点を移しました³。メドウェイ川沿いの工業地帯で、ここに作業場と鋳造工場を確保します。農場経営者から技術者への転身が始まった瞬間でした。義父のエドワード・レイクも資金を出し、共同経営者となりました²。

そして1859年、運命の年が訪れます。

トーマスは当時イギリスで広く使われていたクレイトン・アンド・シャトルワース社製のポータブル蒸気エンジンを一台手に入れました。そして、大胆な改造に着手します。エンジンのクランクシャフト(回転軸)と後輪をつなぐ長い駆動チェーンを取り付けたのです¹,²。

仕組みは単純です。蒸気の力でクランクシャフトが回る。その回転がチェーンを介して後輪に伝わる。すると、機械が自分で前に進む。理屈では簡単ですが、実際にやってのけた人間はそれまでいませんでした。

この改造されたエンジンは、自分の力で移動できるだけでなく、従来通り脱穀機などの農業機械も駆動できました²。つまり、畑まで自走して行き、そこで作業をこなし、また次の畑へ自分で移動する──まさに「働く機械」の誕生でした。

トーマスはすぐに特許を申請し、1859年に取得します²。特許には、チェーンの張力を調整する装置や、必要に応じてチェーンを外せば従来の固定式エンジンとしても使える工夫が含まれていました。実用性を徹底的に考えた設計です。

この発明は瞬く間に評判を呼びました。ただ、トーマスの工場は小規模で、大量生産には対応できません。そこで最初の製品は、元々のエンジンを作っていたクレイトン・アンド・シャトルワース社に製造を委託することになりました³。

エイヴリング式蒸気トラクション・エンジン
Bibliographisches Institut., Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

📊 エイヴリングの技術革新の軌跡

技術革新の内容
1856年ジョン・ファウラー製蒸気犂を導入、請負作業を開始
1858年ケント州農業経営者から銀製記念品と300ギニーを授与
1858-1859年チェーン駆動で自走式蒸気トラクション・エンジンを実現
1860年代前半シリンダー配置を最適化し、チェーンを短縮
1863年2速ギア装置を開発、特許取得

🏭 ビジネスパートナーとの出会い──   エイヴリング・アンド・ポーター社

技術的には成功しました。しかし、事業として大きく成長させるには資金が足りません。トーマスには技術と情熱はありましたが、経営資源が不足していました。

1862年、転機が訪れます。地元の実業家リチャード・トーマス・ポーターが、トーマスの技術に目をつけたのです²。ポーターは資金と商才を持っていました。二人は手を組み、「エイヴリング・アンド・ポーター社(Aveling and Porter)」を設立しました²。役割分担は明確で、トーマスが技術開発、ポーターが資金調達と販売を担当しました。

エイヴリング・アンド・ポーター社のロゴ
Barry Skeates from newbury, UK, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

同じ1862年、ロンドン郊外のバタシーで大規模な農業機械展示会が開かれました。エイヴリング・アンド・ポーター社は、そこに「脱穀、耕作、一般牽引用特許農業用機関車」と銘打った蒸気トラクション・エンジンを出品します²。

トーマスはさらに改良を加えていました。シリンダー(蒸気が入るシリンダー部分)の位置を火室の上からボイラーの前方へ移動させ、シリンダーを蒸気で包む構造にしたのです²。これにより蒸気の凝縮が減り、効率が大幅に向上しました。

1871年製で英国に現存する最古のエイヴリング・エンジンです。
Elsie esq. / Les Chatfield https://www.flickr.com/people/elsie, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

展示会での評判は上々でした。翌1863年、トーマスは2速ギアチェンジの特許も取得²。機械は坂道や悪路でも力強く走れるようになりました。この頃から、プロイセン(現在のドイツ)やオーストラリアへの輸出も始まります²。

🛣️ 道路建設への転用──蒸気ローラーの誕生

トーマスの頭の中には、常に新しいアイデアが渦巻いていました。蒸気トラクション・エンジンの技術を、他の分野に応用できないか──そう考えた彼は、道路建設に目をつけます。

1865年、トーマスは蒸気ローラーを開発しました²。道路の地面を固める転圧機械です。それまでの転圧作業は、重い石のローラーを馬や人力で引いて行う、気の遠くなるような重労働でした。トーマスは自走式蒸気エンジンの技術を使い、自分で走りながら路面を固める機械を作り上げたのです。

エイヴリング・アンド・ポーター社の蒸気ローラー
SG2012, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

試験は大成功でした。チャタムのミリタリー・ロード、ロチェスターのスター・ヒル、そしてロンドンのハイド・パークで実演が行われ、どれも関係者を驚かせました²。道路建設の効率が何倍にも跳ね上がったのです。

蒸気ローラーはすぐにヨーロッパ各国、インド、北アメリカへと輸出されました²。1868年にはアメリカのフィラデルフィア兵器廠で使われ始め、1869年には15トンの大型ローラーがニューヨークに納入されてセントラル・パークの整備に使われました⁴。

1868年以降、エイヴリング・アンド・ポーター社はイギリス政府に道路用機関車やトラクション・エンジン、ローラーを供給し始めます²。特に王立工兵隊の仕様に合わせて作られた機械は「蒸気サッパー(Steam Sappers)」という愛称で呼ばれました²。

1875年にはフランス政府が試験を実施して発注、1876年にはロシア政府が厳しい条件下での試験を行い、泥濘地や急斜面、大砲の牽引などあらゆる場面で性能を確認しました²。エイヴリングの機械は、世界中で信頼される存在になっていったのです。

💼 市長として、技術者として──地域への恩返し

事業の成功とともに、トーマスは地域社会でも重要な役割を担うようになります。1869年から1870年にかけて、彼はロチェスター市長を務めました¹。

市長としてのトーマスは、実に活動的でした。工場が立地するストルード地区は当時湿地帯で、河岸の改良が急務でした。彼は議会で強く主張し、この問題に取り組みます¹。また、ロチェスター城の公園整備を支援し、市民が憩える場所を作りました。教育にも熱心で、ロチェスター教育委員会に参加し、サー・ジョセフ・ウィリアムソン数学学校の理事も務めました¹。

政治的には自由党の急進派でしたが、実務家としての顔も持っていました。リチャード・ワッツ慈善団体の理事として、貧しい人々への支援にも力を注いだのです¹。

技術者としても、トーマスは第一線にあり続けました。王立農業協会の会員となり、1875年から1882年まで評議員を務めます¹。協会のために化学実験室を建設する資金を確保するなど、農業技術の発展に貢献しました。さらに、土木技術者協会、機械技術者協会、鉄鋼協会の会員でもありました¹。

国際的な評価も高まります。オーストリアからは聖フランシス・ヨーゼフ勲章、フランスからはレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエが授与されました⁵。イギリスの田舎町の技術者が、ヨーロッパ各国から認められる存在になっていたのです。

👨‍👩‍👦 父から息子へ──家業の継承

トーマスとサラの間には、複数の子供が生まれました。長男は1856年8月25日に生まれ、トーマス・レイク・エイヴリングと名付けられました²。「レイク」というミドルネームは、母サラの旧姓です。

*この命名パターンは、当時のイギリス上流階級・地主階級では一般的で、家名を継承するために長男に父と同じ名前を付ける習慣がありました。

息子トーマス・レイクは、父の背中を見て育ちました。学校を卒業すると、迷わず父の会社で働き始めます。機械工学を学び、現場で経験を積み、やがて経営にも携わるようになりました。

1881年、父トーマスは会社の経営を息子に譲ります²。このとき息子はまだ25歳でしたが、父は彼の能力を信じていました。1895年、エイヴリング・アンド・ポーター社は有限責任会社に転換し、トーマス・レイクは会長兼専務取締役として退職まで会社を率いることになります²。

1881年の国勢調査記録には、トーマス一家の暮らしぶりが記されています。ロチェスターのボーリー・ヒル・ハウスという邸宅に住み、56歳のトーマスは農業技術者として260人の男性と61人の少年を雇用していました。妻サラ(54歳)、息子トーマス・L(24歳、機械技術者)、娘シャーロット・B(22歳)、そして使用人1名と暮らしていました。農家の徒弟から出発した男が、立派な邸宅を構えるまでになったのです。

🕊️ ヨットと肺炎──技術者の最期

仕事一筋だったかというと、そうではありません。トーマスには趣味がありました。ヨットです。

彼は28トンの「サリー号(Sally)」というヨットを所有し、週末や休暇には海に出ていました¹。ロイヤル・サンク・ポーツやロイヤル・ヴィクトリアといった名門ヨットクラブの運営にも積極的に関わっていました¹。海風を受けて帆走するひとときは、彼にとって何物にも代えがたい喜びだったのでしょう。

しかし、その趣味が命取りとなりました。

1882年2月下旬、トーマスはいつものようにサリー号で海に出ました。ところが船上で冷たい風に当たり、寒気を感じます¹。当初は軽く考えていましたが、数日後に肺炎を発症しました。58歳という年齢、そして長年の激務で疲弊していた体には、肺炎は重すぎる病でした。

1882年3月7日、トーマス・エイヴリングは息を引き取りました⁶。享年57歳(満年齢では57歳と5ヶ月)でした。

葬儀の日、ロチェスターの街は多くの人で埋まりました。工場の従業員たち、取引先の商人たち、市民たち──彼らが通りに詰めかけ、ボーリー・ヒル・ハウスからフー・セント・ウェルバーグの聖ウェルバーグ教会までの葬列を見送りました⁵。葬列は当初37台の馬車だったものが、フーに到着する頃には54台に膨れ上がっていたといいます¹。

墓碑には、母アン(1873年9月2日没、享年73歳)、本人トーマス(1882年3月7日没、享年57歳)、そして妻サラ(1898年11月19日没、享年71歳)の名が並んで刻まれています⁶。サラは夫の死後も16年間生き、会社の発展を見守り続けました。

📅 トーマス・エイヴリング 年表

出来事
1824年9月11日ケンブリッジシャー州エルムに生まれる
1835年父が死去、家族は経済的困難に
1836年母が牧師と再婚、ケント州へ移住
1840年代農家エドワード・レイクのもとで徒弟修行
1850年ラッキンジで農場経営を開始、サラ・レイクと結婚
1851年16人の男性と6人の少年を雇う規模に成長
1856年ジョン・ファウラー製蒸気犂(じょうきすき)を導入、請負作業開始
1856年長男トーマス・レイク・エイヴリング誕生
1858年ロチェスターに拠点を移し工場設立、ケント州農業経営者から300ギニーを授与
1859年自走式蒸気トラクション・エンジンを発明、特許取得
1862年リチャード・トーマス・ポーターと提携、会社設立
1863年2速ギア機構の特許取得、海外輸出開始
1865年蒸気ローラーを開発
1869-1870年ロチェスター市長
1875-1882年王立農業協会評議員
1881年息子に会社経営を譲る
1882年2月下旬ヨット上で寒気に当たり肺炎を発症
1882年3月7日ロチェスターにて死去

■ まとめ

「蒸気トラクション・エンジンの父」──トーマス・エイヴリングは、そう呼ばれています¹。彼の機械は今も、ロンドンの科学博物館やロンドン交通博物館に大切に保存されています⁵,⁶。

彼の人生で最も重要だったのは、1859年の発明でしょう。馬に引かせるしかなかった蒸気エンジンを、自分で走れる機械に変えた。たったそれだけのことが、農業の世界を根底から変えました。人々は初めて、機械の力だけで広大な農地を効率的に耕し、収穫できるようになったのです。

しかし、その前段階として1856年の蒸気犂導入があったことを忘れてはなりません。ジョン・ファウラーの技術を実地で応用し、ケント州の農業に革新をもたらした功績は、地元農業経営者たちから300ギニーという破格の報酬で讃えられました¹,²,⁶。この経験が、彼を単なる農場経営者から技術革新者へと変えていったのです。

そして1865年の蒸気ローラー開発は、道路建設技術に革命をもたらしました。エイヴリング・アンド・ポーター社はその後、合計8000台以上の蒸気ローラーをロチェスターで製造します⁷。各機械に飾られたケントの跳ね馬の真鍮エンブレムは、世界中で「信頼の証」として認識されるようになりました。

しかし、トーマスは単なる発明家ではありませんでした。市長として公園を整備し、教育を支援し、貧しい人々に手を差し伸べました。経営者としては厳しい一面もありましたが、従業員のために講義室や食堂を用意し、教育や社会問題について議論する場を設けました²。利益だけを追う人間ではなかったのです。

現代のロチェスターには、「トーマス・エイヴリング・スクール」という学校があります⁵。フー・セント・ウェルバーグには「エイヴリング・クローズ」という通りがあります⁸。彼の名は、街に刻まれています。

トーマス・エイヴリング・スクールのロゴ
Beaulieurise, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

地主の息子として生まれ、父の死で人生が変わり、農家の徒弟となり、自ら農場を経営し、そこから技術者へと転身した男。トーマス・エイヴリングの物語は、一人の人間が情熱と工夫で時代を変えられることを教えてくれます。


📚 参考文献一覧

¹ Wikipedia (2025). “Thomas Aveling (engineer).” https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Aveling_(engineer)

² Wikipedia (2025). “Aveling and Porter.” https://en.wikipedia.org/wiki/Aveling_and_Porter

³ Berrybrook Steam & Classics (2023). “Traction Engine History: A Tribute to Thomas Aveling.” https://www.berrybrooksteam.co.uk/blog/traction-engines-a-tribute-to-thomas-aveling/

⁴ Grace’s Guide. “Aveling and Porter.” https://www.gracesguide.co.uk/Aveling_and_Porter

⁵ Medway Council (2024). “Celebrating the life and legacy of Medway pioneer Thomas Aveling.” https://www.medway.gov.uk/news/article/1748/

⁶ Find a Grave (2025). “Thomas Aveling (1824-1882).” https://www.findagrave.com/memorial/34065802/thomas-aveling

⁷ ScienceDirect. “Engine Traction – an overview.” https://www.sciencedirect.com/topics/engineering/engine-traction

⁸ Humphrys Family Tree. “Thomas Aveling.” https://humphrysfamilytree.com/Sharp/thomas.aveling.html


❓ よくある質問(FAQ)

Q1: トーマス・エイヴリングが「蒸気トラクション・エンジンの父」と呼ばれる理由は?

A: 1859年、彼は世界で初めて実用的な自走式蒸気トラクション・エンジンを開発しました。それまでの蒸気エンジンは馬に引かせて移動させる必要がありましたが、エイヴリングはクランクシャフトと後輪をチェーンでつなぎ、エンジン自身が走れるようにしました。この発明が農業機械化の扉を開いたのです。

Q2: 1856年の蒸気犂(じょうきすきとは何ですか?

A: エイヴリングは1856年にジョン・ファウラー製の蒸気犂(じょうきすき)(steam plough)を導入し、ケント州で請負作業を始めました。蒸気の力で土を深く耕せるこの機械は大成功を収め、1858年に地元農業経営者たちから銀製記念品と300ギニーという破格の報酬を授与されました。この経験が、後の蒸気トラクション・エンジン開発につながります。

Q3: エイヴリング・アンド・ポーター社とは何ですか?

A: 1862年にトーマス・エイヴリングと実業家リチャード・トーマス・ポーターが設立した会社です。エイヴリングが技術開発を、ポーターが資金調達と販売を担当しました。蒸気トラクション・エンジンと蒸気ローラーで世界的に成功し、20世紀初頭までイギリスを代表する機械メーカーでした。

Q4: 蒸気ローラーとは何ですか?

A: 道路を舗装する際に地面を固める転圧機械です。エイヴリングは1865年に蒸気の力で自走する転圧機を開発し、道路建設の効率を飛躍的に向上させました。同社は合計8000台以上の蒸気ローラーを製造し、世界中に輸出しました。

Q5: エイヴリングの遺産は今も残っていますか?

A: はい、ロンドンの科学博物館とロンドン交通博物館に彼の機械が保存されています。ロチェスターにはトーマス・エイヴリング・スクールという学校があり、フー・セント・ウェルバーグにはエイヴリング・クローズという通りがあります。彼の墓は聖ウェルバーグ教会墓地にあり、教会内には記念のステンドグラスもあります。


👉 この人物が登場する時代の歴史はこちら →第4回|世界の自動車歴史1840〜1860年代:蒸気自動車最盛期と内燃機関の夜明け


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