1860年代から1880年代前半は、現代へとつながる「自動車」という概念が芽生え、さまざまな動力源が可能性を模索していた、まさに自動車史の夜明け🌅とも言える時代です。この時期、蒸気自動車が引き続き発展する一方で、内燃機関、特にガソリンを燃料とするエンジンの実用化に向けた重要な一歩が踏み出されました。
🛣️ この時代の自動車を取り巻く環境と動力源
当時の道路はほとんどが未舗装で、車体には頑丈さ、動力には一定のパワーが求められました。そんな中、主要な動力源として以下の3つがしのぎを削っていました。
- 🔥 蒸気自動車: 技術的には最も成熟しており、高出力で長距離走行も可能でした。しかし、機関が大きくて重く、始動や運転が複雑で、ボイラーの危険性や水・燃料の補給といった課題も抱えていました。
- 🔋 電気自動車: 静かで操作が簡単、排気ガスが出ないという大きな利点がありました。しかし、バッテリーが重く容量が足りないため航続距離が短く、充電インフラも未整備という大きな制約がありました。
- ⛽ ガソリン(内燃機関)自動車: まだ発展途上でしたが、軽量で即時始動できるという潜在的なメリットがありました。信頼性、出力、振動、騒音、燃料供給など多くの問題を抱えつつも、その未来への可能性に注目が集まり始めていました。
🚂 蒸気自動車の進化と立ちはだかる社会の壁
この時代も、蒸気自動車は技術的な改良が進み、その実用性を高めていきました。
フランスのアメデー・ボレー(第4回記事)は、高圧ボイラーや効率的な蒸気エンジンの発展を背景に、画期的な車両を開発しました。特に、1878年に発表された「ラ・マンセル」は、世界初の量産を意図した蒸気自動車と言われ、約50台が製造されたとされています。前輪駆動や独立懸架など、後の自動車につながる革新的なレイアウトが特徴でした。

一方、イギリスではトーマス・リッカット(Thomas Rickett)が1860年頃に実用的な蒸気自動車を開発しました。リッカットは、自身の製鉄所でボイラーを搭載した蒸気馬車を製作し、これを一般道路で試運転しました。これは、乗客を乗せて自走した記録が残る初期の自動車のひとつです。運行されたルートや実際の使用に関する記録は少ないものの、後の蒸気車開発に影響を与えた可能性があります。
ただし、蒸気車の普及は「赤旗法」🚩(Locomotive Acts, 1865年)によって大きく阻まれていました。この法律は蒸気車の前に赤旗を持った歩行者を立てることや極端な速度制限を課すもので、安全性への懸念だけでなく、馬車業界の保護という背景もあり、1896年まで続きました。
🔧 内燃機関の夜明け:ガスからガソリンへの転換
1.1860年:エティエンヌ・ルノワール(第4回記事)によるガスエンジンの実用化🛠️
石炭ガスを燃料とする2ストロークのガスエンジンを発明し、工場動力として実用化。1863年にはこれを搭載した三輪車をパリで走らせ、自動車の先駆けの一つとなった。
2.1870年代前半:ジークフリート・マルクスによるガソリン車の先駆け⚙️
ガソリンを燃料とする内燃機関を搭載した「第一マルクスカー」を試作。さらに点火マグネトーを発明し、エンジンの信頼性向上に貢献。彼の技術は後の実用車開発に影響を与えた。
3.1876年:ニコラウス・オットーによる四サイクルエンジンの確立🔄
吸気・圧縮・燃焼・排気からなるオットーサイクル(4ストロークエンジン)を開発し、内燃機関の効率と安定性を大幅に向上させた。現代のガソリンエンジンの基盤となる技術。

1883年:ゴットリープ・ダイムラーによる高速ガソリンエンジンの発明💨
オットーの理論を応用し、毎分900回転を超える高速回転が可能な軽量ガソリンエンジンを開発。小型化と熱管点火方式により、移動体(自動車やオートバイ)への搭載が現実のものとなった。

⚡電気自動車の実用化への第一歩
ガソリン車よりも静かで扱いやすい電気自動車も、この時代に実用化の道を歩み始めていました。
フランスのギュスターヴ・トルーヴェは、1881年に小型の電気モーターと鉛蓄電池を搭載した三輪自転車を製作⚡。この車両はイギリス製のペダル付き三輪車(Starley製)を改造したもので、パリ市内での公開走行に成功しました。これは世界初の電気自動車による公道走行とされ、電動輸送機器の歴史において重要な一歩でした。
イギリスのトーマス・パーカーは、1884年頃に鉛蓄電池を搭載した車両を製造🔋 彼は英国の電気工学の先駆者であり、路面電車や鉱山輸送、都市の電化にも関わった人物です。彼の試作車両は産業利用を想定した実験的なもので、近代電気自動車の原点のひとつと考えられています。
📌 この時代の意義
1860年代から1880年代前半は、自動車の技術的進化において非常に重要な過渡期でした。蒸気、電気、ガソリンという3つの選択肢がそれぞれ進化を続け、未来の自動車の形を模索しました。
特に、ジークフリート・マルクスの先駆的な試みと、ゴットリープ・ダイムラーによる高速ガソリンエンジンの発明は、後の自動車産業発展の決定的な技術的基盤となりました。この時期に確立された技術の蓄積が、続く1880年代後半の「自動車誕生」🚘という画期的な出来事へとつながっていくことになります。
また、これらの発展は単なる技術進歩にとどまらず、人々の移動や都市のあり方にも影響を与え始めていました。道路整備や交通法規の整備といった社会制度の変化も、この時代に芽生えつつありました。自動車という新たな存在が、社会全体に与える影響の大きさを垣間見ることができる重要な時代だったのです。