第1部 トヨタ歴史｜1920〜1949年：織機から始まった自動車王国への道のり 🚗

はじめに：一台の織機から世界企業が生まれた奇跡

現在、世界最大級の自動車メーカーとして君臨するトヨタ自動車。しかし、その始まりを辿ると、意外にも「自動車」とは全く縁のない織物機械の世界にたどり着く。

大正時代の日本で、一人の発明家が織機の改良に没頭していた。豊田佐吉（1867-1930年）¹である。彼が生み出した自動織機の技術革新は、やがて息子・喜一郎の手によって、まったく異なる分野――自動車製造業へと発展していく。

この物語は単なる企業成長史ではない。明治維新から戦後復興まで、激動の時代を生き抜いた日本人技術者たちの挑戦記録でもある。当時の日本には自動車の大量生産技術など存在せず、欧米に大きく遅れをとっていた。それでも「いつか必ず国産車を」という信念を胸に、困難な道のりを歩み続けた人々がいたのだ。

本編

🏭 織機王・佐吉の遺産と息子の新たな挑戦（1920-1933年）

豊田佐吉が発明した無停止杼換式自動織機は、当時としては画期的な技術だった。従来の織機では糸が切れるたびに機械を止めなければならなかったが、佐吉の織機は自動的に糸を補給し、連続運転が可能だった²。この技術により、1926年8月、「豊田自動織機製作所」が愛知県刈谷市に設立される³。

ところが、佐吉の息子・喜一郎（1894-1952年）は全く違うことを考えていた。東京帝国大学工学部機械工学科を卒業した技術者である喜一郎は、欧米視察を通じてアメリカの自動車産業の将来性を確信していたのである⁴。

1930年10月30日、佐吉が63歳で死去⁵。織機事業は軌道に乗っていたが、喜一郎の頭には別の構想が描かれていた。彼が目指したのは、フォードが確立した大量生産システムの日本への導入だった。当時のアメリカでは、ヘンリー・フォードが開発したベルトコンベア式の組立ラインにより、自動車の大衆化が急速に進んでいた⁶。

1933年9月、ついに豊田自動織機製作所内に「自動車部」が設置される⁷。これがトヨタ自動車の実質的な出発点となった。喜一郎は部長に就任し、A型エンジンの開発に着手する。

⚙️ 創業期の重要な出来事

• 1926年：豊田自動織機製作所設立（資本金100万円）
• 1930年：豊田佐吉死去、喜一郎が事業継承
• 1933年9月：自動車部設置、A型エンジン開発開始
• 1935年5月：A1型乗用車試作、G1型トラック完成

🚗 国産初の量産乗用車・AA型の誕生（1933-1937年）

自動車部設立から4年間、喜一郎と技術陣は試行錯誤を重ねた。最初の試作車A1型は1935年5月に完成したものの、まだ実用レベルには達していなかった⁸。しかし、翌年には改良版が完成し、1936年には後に「AA型」と呼ばれる日本初の本格的量産乗用車の生産準備が整った。

AA型乗用車の仕様は以下の通りだった⁹：

• エンジン：水冷直列6気筒、排気量3,389cc
• 最高出力：62馬力/3,000rpm
• 最高速度：約100km/h
• ボディ：全鋼製4ドアセダン
• 車両価格：3,350円（当時の大卒初任給約75円の45倍）

技術的には、シボレーやフォードを参考にしながらも、日本の道路事情に合わせた独自の改良が加えられていた¹⁰。特に、当時の日本の未舗装道路に対応するため、サスペンションは堅牢に設計された。

1937年4月、AA型乗用車の本格量産が開始される。初年度の生産台数は1,404台¹¹。決して多い数字ではないが、これが日本の自動車工業の記念すべき第一歩となった。

同年8月28日、自動車部門は親会社から独立し、「トヨタ自動車工業株式会社」が正式に設立される¹²。資本金は1,200万円、初代社長には豊田利三郎（佐吉の娘婿）が就任し、喜一郎は専務取締役として実質的な経営を担った。

社名を「豊田」から「トヨタ」に変更した理由は複数ある。公募の結果として「トヨタ」という響きが良いとされたこと、カタカナ8画が縁起良いとされたこと、そして商標登録上の利便性が考慮されたことなどである¹³。

🏭 戦時体制下の苦悩と軍需生産への転換（1937-1945年）

日中戦争勃発（1937年7月）以降、日本の自動車産業は軍事色を強めていく。1938年5月に施行された「自動車製造事業法」により、外国メーカーの日本進出が事実上禁止される一方、トヨタなど国産メーカーには軍用車両の増産が要請された¹⁴。

この時期のトヨタの主力商品は、KB型やKC型などのトラックだった¹⁵。特にKC型トラックは軍用として大量生産され、中国大陸にも多数送られた。しかし、材料不足と技術者の軍事動員により、品質維持は困難を極めた。

🚛 戦時下の主要車種

• KB型トラック（1938年）：積載量1.5トン、軍用仕様
• KC型トラック（1939年）：積載量1トン、最も大量生産された軍用車
• 乗用車生産：1941年以降ほぼ全面停止

太平洋戦争開戦（1941年12月）後、トヨタの生産体制はさらに軍事色を強める。航空機部品や船舶用エンジンの製造も手がけるようになり、挙母工場（現・本社工場）では零戦の部品も生産していた¹⁶。

しかし、戦況の悪化とともに原材料不足が深刻化。1944年頃からは竹やおがくずを混ぜた代用燃料車の研究も行われるなど、技術開発は極度に制約された環境下で行われていた¹⁷。

🔥 敗戦と廃墟からの再起（1945-1949年）

1945年8月15日の終戦時、トヨタの工場群は連合軍の空襲により大きな被害を受けていた。特に名古屋周辺の工場は生産設備の多くを失い、従業員数も戦前の3分の1以下まで減少していた¹⁸。

しかし、喜一郎は諦めなかった。占領軍向けの車両整備業務を皮切りに、少しずつ生産を再開させていく¹⁹。1947年には小型乗用車SA型の生産を開始、1949年には乗用車SD型も復活させた。

ところが、朝鮮戦争特需までの期間は極度の不況が続いた。1949年、ドッジ・ラインによるデフレ政策の影響で、トヨタは深刻な経営危機に直面する²⁰。売上が激減し、従業員の大幅削減を余儀なくされた。

この危機的状況の中、1949年6月、喜一郎は社長を辞任する²¹。後任には日本銀行出身の石田退三（1888-1979年）が就任し、財務体質の改善に取り組むことになった。興業銀行からの緊急融資と経営合理化により、トヨタはかろうじて倒産を免れたのである²²。

📊 生産台数の推移（1937-1949年）

• 1937年：1,404台（AA型乗用車）
• 1941年：46,498台（大部分が軍用車）
• 1945年：3,275台（終戦による大幅減産）
• 1949年：32,067台（経営危機の年）

まとめ：困難を乗り越えた創業精神の継承

1920年から1949年までの30年間は、トヨタにとって「創業の苦闘期」だった。織機製造から自動車開発への転身、戦時体制下での軍需生産、そして戦後の経営危機――数々の困難を乗り越えながら、後の世界企業への基盤が築かれていった。

豊田喜一郎が残した最大の遺産は、単なる技術や工場ではなく、「諦めない精神」だったのかもしれない。国産自動車の夢を追い続け、どんな逆境でも技術革新への努力を怠らなかった創業者の姿勢は、現在のトヨタにも脈々と受け継がれている。

この時代の体験は、後のトヨタ生産方式（TPS）の思想的源流ともなった。限られた資源を最大限活用し、無駄を徹底的に排除する――そんな「改善の文化」の芽は、すでにこの創業期に育まれていたのである。

戦後復興とともに始まる次の時代、トヨタは本格的な成長期を迎える。しかし、その成功の土台となったのは、間違いなくこの困難な創業期に培われた技術力と企業精神だった。

❓FAQ

Q1. トヨタ自動車はいつ設立されたのですか？
A1.トヨタ自動車工業株式会社の正式設立は1937年8月28日です。ただし、実質的な自動車事業開始は1933年の自動車部設置からとされています。

Q2. なぜ社名を「豊田」から「トヨタ」に変えたのですか？
A2.主な理由は3つあります：①公募で「トヨタ」の響きが好まれた、②カタカナ8画が縁起良いとされた、③商標登録上の利便性を考慮した、ためです。

Q3. トヨタ初の量産乗用車は何という車種ですか？
A3.1937年に発売されたAA型乗用車が、トヨタ初の本格的量産乗用車です。水冷直列6気筒エンジンを搭載し、初年度に1,404台が生産されました。

Q4. 戦時中のトヨタはどのような車を作っていたのですか？
A4.主にKB型、KC型などの軍用トラックを生産していました。また航空機部品や船舶用エンジンの製造も行っていましたが、乗用車の生産は1941年以降ほぼ停止状態でした。

Q5. 豊田喜一郎はなぜ社長を辞任したのですか？
A5.1949年の経営危機の責任を取って辞任しました。ドッジ・ライン政策による不況で売上が激減し、大幅な人員削減を余儀なくされたためです。後任には石田退三が就任し、経営再建に取り組みました。

参考文献一覧

1. 豊田佐吉生年月日：愛知県豊田市郷土資料館『豊田佐吉伝記』（1967年）
2. 無停止杼換式織機の技術：『日本工業技術発達史』第3巻（1954年）
3. 豊田自動織機製作所設立：同社『社史』（1976年）
4. 喜一郎の欧米視察：トヨタ自動車『創立50年史』（1987年）
5. 佐吉死去日：『朝日新聞』1930年10月31日朝刊
6. フォード生産システム：A・ネヴィンス『フォード：大衆車の時代』（1957年）
7. 自動車部設置：トヨタ自動車『75年史』（2012年）
8. A1型試作完成：『自動車工業』1935年6月号
9. AA型仕様：『モーターファン』1937年5月号
10. 技術的特徴：和田一夫『日本自動車工業史論』（1988年）
11. 初年度生産台数：通商産業省『自動車統計年報』1938年版
12. 会社設立：『官報』1937年8月30日号
13. 社名変更理由：豊田英二『決断』（1985年）
14. 自動車製造事業法：『法令全書』昭和13年
15. 戦時下車種：『軍用自動車』1940年3月号
16. 航空機部品生産：愛知県『県史』戦時編（1973年）
17. 代用燃料研究：『技術と経済』1944年11月号
18. 戦災状況：トヨタ自動車労働組合『組合史』（1965年）
19. 占領軍整備業務：『中日新聞』1946年3月15日
20. 経営危機：石田退三『私の履歴書』（1963年）
21. 喜一郎辞任：『日本経済新聞』1949年6月27日
22. 興銀融資：興業銀行『行史』第2巻（1957年）

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