第3回|1820〜1830年代の自動車史:ガーニーとハンコックの蒸気自動車革命

🔰はじめに

1820〜30年代。 現代の相近速度を出し、人を込むことができた自動車は、まだガソリンエンジンもない時代、“蒸気の力”で動いていました。

その先駆けが「蒸気自動車」(スチーム・キャリッジ)。

計算もテクノロジーも限られた時代に、駅車よりも新しい「自分で動く乗り物」が、日本ではまだ黒船さえ来ていない時代に、いまさらの街中を走っていたのです。

その所有者となったのが、発明家「サー・ゴールドスワージー・ガーニー」と「ウォルター・ハンコック」。

2人の挑戦は、今の自動車やバスの「祖先」にあたる、イギリス発の革旋を起こしたのでした。


1. サー・ゴールドスワージー・ガーニー:蒸気馬車でロンドンを走る

出典:Wikimedia Comomons(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d7/Portrait_of_Sir_Goldsworthy_Gurney_Wellcome_M0009975.jpg)

ガーニーは医師出身の発明家で、1825年に「普通の道や線路で、乗客と荷物を載せて馬の助けなしに十分な速度で前進する馬車」の特許を取得した。

ガーニーの蒸気自動車は、管状ボイラーと革新的な蒸気噴射システムを特徴としていた。1827年の特許では、人体の構造を模倣した設計思想を採用し、溶接した鉄パイプを螺旋状に組み合わせた馬蹄形のボイラーを開発した。この設計により、煙突を通る蒸気の噴射で燃焼を促進し、出力対重量比を大幅に改善することに成功した。

1829年には、ロンドンからバースまでの約300kmを蒸気自動車で往復する長距離試験走行を実施し、時速24km(15マイルを達成し、メルクシャムからクランフォード・ブリッジまでの約135キロメートルを10時間で走行した。しかし往路では馬車業者による投石攻撃を受け、復路では機械故障により馬車に牽引されるなど、多くの困難に直面した。その後、ガーニー蒸気乗合自動車会社を設立し、ロンドンーバース間の定期運行にも挑戦しました。

出典:Wikimedia Comomons(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ce/Das_Ausland_%281828%29_b_050_2.jpg)

しかし、馬車事業者の既得権益による妨害と高額な通行料により事業は困難に陥った。1832年春には資金調達に失敗し、事業資産を競売にかけ、終焉を迎えます。

2. ウォルター・ハンコック:都市交通の原型をつくった男

出典:Wikimedia Comomons(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c1/Portrait_of_Walter_Hancock_%284672553%29.jpg)

時計職人出身のハンコックは、1824年に従来のピストンとシリンダーに代わり、ゴム溶液で接着したキャンバス製の柔軟な袋を使用する独自の蒸気機関を発明した。

1827年、ハンコックは分割式ボイラーの特許を取得した。この設計では、薄い金属製の分離チャンバーを使用することで、ボイラーが爆発ではなく分裂するように設計され、運転者と乗客の安全性を大幅に向上させた。

1829年、ハンコックは10人乗りの小型蒸気バス「インファント号」を製作した。1831年にはストラットフォードとロンドン間で定期運行を開始し、これが英国初の蒸気自動車定期運行サービスとなった。同車両は後にロンドン-ブライトン間での収益運行でも成功を収めた。

1833年4月22日、ハンコックの蒸気オムニバス「エンタープライズ号」が「ロンドン・アンド・パディントン蒸気乗合自動車会社」により営業運行を開始した。これは世界初の機械推進による都市バス営業サービスであり、ロンドンウォールとパディントン間をイズリントン経由で運行した。14人乗りの同車両は約16キロメートルの距離を約50分で走行した。

出典:Wikimedia Comomons(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f7/Entreprise.JPG)

836年、ハンコックは22人乗りの大型蒸気バス「オートマトン号」を導入した。2気筒エンジンを搭載したこの車両は、ロンドン-パディントン、ロンドン-イズリントン、ムーアゲート-ストラットフォード間で700回以上の運行を行い、総計12,000人以上の乗客を輸送した。最高速度は時速32キロメートル(20マイル)を超えた。

出典:Wikimedia Comomons(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4f/%27Automaton%27_steam_omnibus.png)

3. どれくらい走れたの?当時の蒸気車の性能とは

  • 平均速度:時速20〜30km
  • 最高速度:時速32km(20マイル
  • 人数:10〜22人乗り
  • 必要人員:運転手(前部に位置)                                                       ・火夫(後部でボイラーの火力調整と後輪ブレーキを操作)                                         ・技術者(ボイラーの水位調整とバック用ギアの切り替えを担当)                                          の3名

馬車と遜色ない性能を発揮した。給水と燃料補給の時間を含めても、長距離での安定した運行を実現していた。

4. なぜ広まらなかった?蒸気自動車の壁

蒸気自動車が普及しなかった主な理由は以下の通り:

  • 🐎 馬車業者の妨害(石を投げられることも)
  • 💰 高すぎる通行料(蒸気自動車に対して高額)
  • 🚫 法規制の強化(1865年の赤旗法で速度3km/h「市街地」、6km/h「郊外」に制限)
  • 🔥 ボイラー爆発のリスクと公害問題(火の粉・煤煙)

技術ではなく、社会的な反発と法的制約が足を引っ張ったのです。

5. 蒸気自動車がもたらした「その後の影響」

ガーニーとハンコックの挑戦は、結果的に短命に終わりましたが、以下の点で大きな功績を残しました:

  • 🌆 都市バスの原型を確立
  • 🚘 ガソリン車より半世紀早く自動運転による大量輸送を実現
  • ⚙️ 機械化交通の可能性を示し、自動車開発の礎に

✍️まとめ

  • ガーニーとハンコックは、世界初の実用的な蒸気自動車を作り上げた
  • 彼らの車両は定期運行にも成功し、都市交通の原型を築いた
  • しかし、社会的な抵抗と制度的な壁によって普及は阻まれた
  • それでも彼らの挑戦は、後の自動車発展に大きな影響を与えた

👉 前回の記事はこちら(第2回)

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